義実家に滞在している間は朝起きてごはんを食べて外に出て夜はすぐに寝入ることが容易かった。埼玉に戻るとこれがむずかしくなるであろうことが悲しい。
家に人がたくさんいるのが大きいのだろうか、と思う。寂しさを感じる余地が少ない。でもそれはわれわれが旅行者だからなのかもしれない。
義実家に来て改めて都会が肌に合わないことを実感する。
都会・関東圏なんか本当に嫌いかもしれない。水道水は不味いし、人は多いし、情報量が多い、ごみごみしている。都会のアクセスが良いところも正直嫌いだ。アクセスが良い=どこへでも行くことが可能なのに、どこにも行かない自分が責められているみたいに感じる。
人間のかたちを保てない自分が常に不寛容な人の目に晒され続けているような気になるところが大嫌いだ。息がしづらい。都会の人間なんか大嫌い。お前らの方が人間じゃないだろ。群れている猿であり、どうでもいい雑音でしかない。
わたしのことを「個」として見てくれない人間なんか、どうでもいい雑音でしかないよな。
あーあ。都会もSNSも大嫌いだ。
家族 全体と個 どうでもいいもの、大事にすべきもの 人間関係がSNSで情報化すること 情報とからだ 距離 都会と田舎
義実家が本当に居心地の良い場所だから、帰るのがつらい。
居心地の良さに甘えるのも怖い。居心地がよいと感じながら恐れているし、疑っている。これは自分を、という意味。
帰路。
朝早く起きて手早く身支度を済ませ、荷物をまとめ、朝ごはんを食べて化粧をして和菓子屋に寄った。
福壽庵という和菓子屋。いちご大福とバターどら焼きがおいしい。朝六時から開店していて、早い者勝ちの和菓子屋だ。
義祖母に挨拶をして、義母義弟と車に乗る。義祖母は「寂しくなるね」「体に気をつけて(方言だった気がする。もう自力では思い出せない。)」と何度も仰って、車が見えなくなるまで手を振ってくれた。
高山市→富山駅の道中は酷い車酔いになった。標高の高さで鼓膜をやられ、低気圧で頭をやられ、おなかにガスが溜まり、山道と立体駐車場で三半規管をやられた。吐きそうだったがつけ麺を食べてどうにか治した。
だいぶ時間に余裕があり、Loftをウィンドウショッピングしたり更にチョコレートを買い足したりして時間を潰した。改札前で見送ってもらって、新幹線に乗る。
帰路は海の見える窓際の席で、気持ちいい。
帰ったらネットプリントで今回撮った写真を現像したい。
急遽大きめの収入が入った。義父が配偶者の名前の口座で貯金してくれていたらしい。二人で引っ越しを本格的に検討している。大きな川の近くでペット可の物件がいい。築年数は古くても構わない、と考えている。
暮らすこと、定住することについて憧れのように思いを馳せているが、配偶者は度々転勤の可能性を仄めかしていて、定住は叶わないのかなと思う。
フォロワーが10年同じ部屋に住んでいるとポストしていたが、今の部屋に10年も住む予定はないし、引っ越したとて次の部屋にも10年は住めないだろう。
家族について考えることと、定住すること、ここで生きていくという決断について考えることは、近いのかもしれない。
安住や安寧が欲しい。欲しいが、どうしたら手に入るのか、実感できるのかが分からない。それって何? とも思っている。
帰宅。
帰宅してすぐ換気して最低温度でエアコン点けて扇風機点けてシーツ剥がして埃掃除してマットレス干して布団と枕干した。
関東の空気乾燥しすぎてて帰宅するとすぐ手が乾燥した。
部屋が臭くて堪らないので駅前のサイゼリヤで夕食を食べた。
セブンのネップリも行こうかと思ったが、食事を終えた途端疲労感が襲ってきて面倒になり、断念した。
疲れた。