ぼうれいはさまよう

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ツイッターが安寧の地ではなくなって、いろんなところをさまよっている。さまよいながら、そもそも何でインターネットになんか住み着いたんだろう、ということを考える。この問いに答えは出ない。

インターネットに住み着いたことを、恥ずべきことだと思っている。それが余計わたしの居心地を悪くする。首を絞めているのは自分なのだから、罪悪感なんて感じなければいいものを、何だかよく分からないざいあくを感じている。

何だってオンラインに住み着いて、日本語を捏ねくり回すことに時間のたいはんを使うようになってしまったのだろう。そしてそこについやした時間は、今のところ何も役に立っていない。何の実を結んでもいない。いいや。こういうのはべつに、役に立つとか実を結ぶとか、そういう尺度で測るべきではないか。ゲームに時間をついやした子どもが、必ずしもプロゲーマーになる訳ではない。

それは、そうだけど。

自分が何を望んでいて、どこを目指していて、何が欲しくて。そういうことの一切は、すぐ分からなくなる。ときどき分かったような気になって、その時は上機嫌になるくせに、またすぐ見失う。見失うと不安になる。

文字を書くことはわたしにとって、自らの本心……地中深くに埋まってしまった本心を見つけ出すための、掘削作業だ。そんなことせずに、本心がすぐ隣にあればいいのに。すぐ隣にあって、いつでも取り出して眺めることができる人もいるだろう。わたしはぼうっとしてるとすぐに地中深くに埋まってしまう。分からなくなる。分かっていたいのに。

分かっていないと不安か? 不安だろう。
だって自分の人生の舵は、簡単に他人に奪われてしまうものなんだから。

……その前提自体が、間違った、おかしなものなのかもしれない。侵略されることやうばわれることが、そう簡単にあってはならないのかも。

あってはならないことだろう。ただ、わたしはいとも容易く奪われつづけてきた。
もうあんな思いしたくないな。奪われたくない。

二度とうばわれない、安息の地。ぜったいあんしんな、安寧の地。

そんなものあるのかな。

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