今年の1月10日に書いた日記の書き起こしです。アホみたいに長いので読む方はお時間のある時に。ところどころ言い換えたり中略したりしてます。過去記事と話題が重複しているところもあるかもしれませんが、悪しからず。
今年令和6年とかマジ? 嘘すぎる。というか去年が令和5年だったという認識もあんまり無いな。去年ってなんかあったっけ? 役所でいっぱい書類に日付書いた記憶はあるのにな。
試しに原稿用紙に日記を書いてみる。原稿用紙ってバラバラになるとダルいかな。
日記。去年って、なんか、耐えてるうちに終わったな。布団の中でじっとしていたら終わった、という感じ。何があったっけ? カレンダーで確認する。
去年の一月は義実家に行った。それが初めての義実家訪問だった。盆にも行った。八月か。
二月には名古屋に行っている。
三月は、いろいろゲームをがんばろうとして予定表を詰め詰めにしている。三月には歯医者にも通っているな。
五月は、北海道に行っている。(補足。叔母と祖父に配偶者を紹介するための旅行でした。消耗したし、隠れて泣いたりしてた。)
六月は……なんか、ひたすら落ち込んでいた記憶がある。この頃には個人サイトも作っていたんだっけ。あんまり覚えていない。
七月もカレンダー的には何もしてなさそうだ。
そういえば八月の帰省ではフォロワーにお土産を買ったりしていたな。
九月は入籍した。そして初めてさいたま赤十字病院に行った。十一月にも日赤に行ってる。
そういえば八月にはスマホの機種変もしたな。
なんか……はしゃいでいたのが終わったな、という感じ。二月、三月あたりはまだ躁っぽかったけど、“引越し躁”が落ち着いたという感じ。“引越し躁”って半年弱も続くのか?
引越しだけじゃないな。環境の変化というか。やっぱり、結婚というものや、他人と居を共にすることの恐れみたいなもの。そこらへんのことが、去年一年間はまるで上手く処理できなかった。
配偶者と一緒に住むということ。そこにある、制度上のこととか、実生活、金銭面のこととか、人間関係や親族関係のこと、あと単純にわたしが札幌から埼玉に移り住んだということ。それらすべてが、わたしには処理しきれずにいた。
札幌ってかなり好きな街だったな。治安が良くて、街が綺麗で、手の届く範囲のところにだいたい何でもある。寒いのも好き。埼玉って人が多すぎる。暑い。浦和レッズや西武ライオンズの熱気が街中から逃げられずにずっと留まってる感じ。
最寄駅近くにある、本屋とか弁当屋とかケーキ屋とかの並びは好きだな。住宅街の中にある個人経営っぽい店とか。そういうのには親しみを持つことができる。
わたしが行政の違う都市に引越したときにやらなければならないこととして、各種障害者福祉サービスの引き継ぎと各病院の転院がある。なんだかんだ、これで一年使ったようなところさえある。途中で苗字と電話番号も変わったし。
自分が「障害者」であることや、定期的に病院に通わなければならないことって、あまり重く捉えていなかった。でも引越しの度にこうも手続きが多いと、流石に、「普通の」人……まあ、こういう手続きをしなくていい人は、しなくていいんだろうな、と思う。自分が障害者であることを軽んじていたのは、「敢えて」というところもあるな。あまり深く考えすぎると惨めになるから。
先日読んだ川上弘美のエッセイに、幼少期に病院通いしなければならなかった子どもの心情(補足。注射が嫌で泣いている子どもを横目に、わたしは平気なんだとすまし顔をするような心情のこと。)と、それはそう思うことで自分の惨めさや病院に通うことの嫌さを誤魔化したかったから……というようなことが、さらっと書いてあって驚いた。わたしが知らない、わたしの本心だった。
親、或いは周囲の大人からわたしの持病についての扱いのことを考えると……。まあ、主に親からの影響が大きいのだろうが、なんか、あんまりちゃんと扱ってもらえなかったな、と思う。「ちゃんと」……。なんていうか、わたしが通院に関して抱えている惨めさや不安にも向き合ってもらえなかった。これは障害のことだけでなく、からだ全体を、大事にされていると思えなかったな。大事にされてこなかったものを、大事にするのはむずかしい。大事にする方法を教わってこなかった。「大事にする」って何だ。過度に「お前は異常なんだ」と教え込んで不安にさせるのでもなく、かといって「お前の病気なんか大したことなくて、お前は“普通”の人と同じなんだ」と軽んじるでもなく……。大事にしたり、されたりするって、何なんだろう。
そういえば、配偶者は新たにわたしの通院の付添人なった。配偶者は、わたしが今通っている心療内科のような小さな病院だと平気そうだが、日赤のような大病院だと目に見えて緊張し、疲れるようだ。慣れていないからなんだろう、とは思う。心療内科(個人経営っぽい小さめの病院・クリニック)ぐらいの規模感ならば行ったことがあるのだろうが、大病院に行き慣れている人はそうそういないだろう。「行き慣れている」という事実自体、かなしいものかもしれないが……。
大病院は、まあ、日常よりも死が近いだろう。小児病棟にしろ、どの科にしろ。
先日小児病棟に行ったが(補足。わたしの持病は先天性のものなので検査によっては小児科に行かなければならないことがある。心臓血管外科にも、小児科にも、わたしと同年代の患者はほぼいない。)、子どもの通院の付き添いらしき大人がヒステリックに叫ぶ声が聞こえて、そういうのも……まあ、そうだよな、と思う。日常で死なんてものから遠ざかって大人になるまで生きてきた人が、突然(自分に関わる)子どもの死に巻き込まれたら、不安で、混乱して、パニックになるよな、と。大病院に行き慣れることなく大人になれた人って本当にラッキーなんだろうか。たとえ肝が据わってなかったり、死に対しての覚悟が定まっていなさそうな人がいたとして、それは責められるべきことなんだろうか。
わたしの母親はわたしの病気のことを、シリアスに捉えているようだった。それはやや悲観的で、自らを悲劇のヒロインと見ているようなところもあった。……いや、こうやって後出しジャンケンで批判するのもずるいことか。
小児病棟にいた父娘のことなども考える。娘の方は、恐らく父親らしき保護者の気を引こうと奇声を上げたり逃げ回ったりしていて、父親は娘をたしなめながら仕事の電話と思しき対応をしていて……。
いろいろ思い付くままに書いていたら原稿用紙も七枚目に突入してしまった。他にも書きたいことはあるが、病院のことを書いたらずいぶん消耗してしまった。また改めて書く。