近況その1。Twitter類似メモアプリばかり増えていく。SNSに投稿するか微妙な内容のポストはそっちに書いて消化しており、XでもBlueskyでも沈黙していることがある。ここ二、三日は入ってくる情報のすべてがつらいニュースがあり、そちらにお世話になっている。
Instagramはアプリをアンストしてから見ていないな。InstagramやThreadsって肌に合わないから一度見なくなるとログインしなくなる。LINE繋がってない人でインスタの方にDM来てたら申し訳ない。相互フォロワーであればいつでもLINE教えます。
深海ヨルとしてアカウント戻したときは不安でいっぱいだったけど、意外に安定してる。SNSに何を投稿しないのかということが徐々に明確になってきたからかもしれない。良い変化だ。
近況その2。この間久々にYouTubeで合唱曲を聴いた。高校時代合唱部に通ってたときの嫌な思い出に触れたくなくてここ数年は避けてきたが、合唱曲って普通に好きだな、の気持ちを思い出した。
特にわたしは寺山修司の詩に信長貴富が曲を付けた合唱曲が好きだ。信長貴富の作曲はピアノ伴奏がひじょうに難しく、旋律が美しい。『ヒスイ』も『鎮魂歌へのリクエスト』も『思い出すために』も、ジャズやバラードの趣があってお洒落な曲だ。あんまり“合唱曲”っぽくない。信長貴富作曲の『くちびるに歌を』も大好き。信長貴富の作曲はテノールの主旋律に色気があって良い。混声合唱におけるテノールがエロいと嬉しい。
三好達治の詩に木下牧子が曲を付けた、アカペラ合唱曲の『鴎』も好き。名曲。シンプルながら歌うとむずかしい曲でもある。作曲家の松下耕が各地の民謡を合唱曲に落とし込んだものも好きだ。
こういう話をしていると、わたしは合唱曲やクラシックピアノなんかが多分、普通に、好きだったんだと思う。でもわたしが音楽に向き合う上での環境ってあんまり……良くなかったな、というところがあるし、この辺の話を人にしたことがない。固まる前のコンクリートみたいにどろどろと、わたしの心の底でうずまいている。
書いてみようかな。以下、自分語りです。
両親は父親がバンドマン(ベース)で母親がピアニストだった。彼らは大学時代同じバンドサークルに入っていたらしい(出会いがそれなのかは分からない。それ以前に面識があったのかもしれない)。特に父親の兄という人は、べらぼうにギターの上手い、所謂“カッコいいバンドマン”だった。高校生の頃、保健医が昔父親とバンドを組んでドラムを叩いていた人だった、とか、英語の先生が伯父と父親の後輩で伯父を「当時本当にめちゃくちゃカッコよかった」と語られる、などがあった(田舎コミュニティだ……)。
父親の家系の男がヒモ属性の男ばっかなの、大好きなんだよな。萌え萌えだから。
さておき。母親はクラシックピアノ一本でやってた人だった。短大も音楽科に行って、ピアノの教員免許も持っていた。わたしが小さい頃は、よく兄の友人らが実家に来て、母親にピアノを習っていた。実家には母親のグランドピアノがあり、ピアノ調律師の資格を持つ父親が調律していた。
実家、母親のグランドピアノもあったし、二階にはデカいエレクトーンもあった。アコースティックギターも、エレキギターもベースもアンプもあったし、フルートもヴァイオリンもあった。音楽英才教育一家? まあほとんどは埃を被って棚と化していましたが……。
母親はわたしたちきょうだいにもピアノないしは楽器を習わせたがっていて、三人とも一度はピアノ教室に通わされたし、三人とも小学校の合唱クラブに入部した。兄はピアノ教室を辞めた後ギターも習っていたし、姉は三人きょうだいでいちばん長くピアノ教室に通い続けていた。わたしは、楽譜も読めないし絶対音感もない。ピアノ教室は、講師がミスをするとすぐさま手を叩く人で(体罰すぎる)泣きながらすぐ辞めた。三人きょうだいの中でいちばん音楽の才能がないのだ、いちばん歌も下手だし……と、幼心に思っていた。
自分がいちばん劣っているんだ、みたいな意識がずっと自分の中にある状態で音楽と関わり続けていたの、本当によくなかったな、と思う。三人きょうだいの中で自分だけが、「楽器を習わせたい」という母親の意向に添えなかった、という劣等感もあったし。
高校で合唱部(分かりやすくするために「合唱部」っつってますけど高校での呼称は「音楽部」でした)に入って二つ上の学年に先輩として姉がいて、そういうのもなんか……今だからそう思えるけど、よくなかった。安易に「姉妹」という括りで見られて、比べられたり、セット扱いされたり。合唱部はソプラノだったが、同期のソプラノに小学生の頃わたしに虐めをしてきた子もいて、まあ、結局自分たちが最終学年になる年で人間関係の折り合いが上手くいかなくなって、辞めた。
クラシックのことが好きなのに、ずっとクラシックに劣等感がある。比較されるといつも低い方に立たされる。音楽以外の、人間関係やらしょうもないプライドの張り合い(所謂“高音厨”的なあれ)で摩耗して、結果として音楽が好きという気持ちが擦り減っていった。不毛だ。不毛だな〜。馬鹿馬鹿しいぜ。馬鹿馬鹿しいけど当時の苦しみは本物だった。自傷行為をしながら部活に行っていた。
『輪るピングドラム』で多蕗桂樹の幼少期のエピソードとして、「天才」を愛する母親の下に産まれて、自分よりも「天才」の弟が産まれてしまったから自らを……というシーンがあるが、あれは……あのシーンほど露骨なものはわたしの過去になかったが、それでも気持ちとしては似たようなものはあったかもしれない。そもそもわたしはピアノが弾けなかったので、スタートラインにすら立てなかったが……。
今日書いたことって本当に、今までどこにも出してこなかった自分語りだから、読んでる人が面白いのかどうか分かんないな。多分面白くはないと思う。映画『カラオケ行こ!』の感想ポストがTLに多く流れていたとき、主人公が合唱部に入っているという設定を知って、この辺の……固まりきっていない汚泥みたいな感情が一気に噴出して最悪な気持ちになった。映画は観ていない。内容も何も知らない。ただひたすら怖い。
ここまで書いてたら軽く手が震えたり鼓膜がおかしくなったりしてきた。そろそろやめよう。普通に、この辺の記憶を掘り起こすのって相応にストレスなのかもしれない。
自分語り回だった。ここまで読んでくれてありがとう。相互フォロワーへ。カラオケ誘って下さい。ヨルより。おわり