小説家か詩人みたい

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春めいてきてから明らかに死にたさが増している。小説家か詩人みたいだ。でも本当にそう。急に気温が上がるのも嫌だし、急に湿度が上がるのも嫌だ。そのくせ夜は冷えるので日中は気温差が激しい。ずっと冬がいい。

水鏡文庫の影響で太宰治の『女生徒』を読んでいる。水鏡文庫では作者の水鏡ひゃくさん(ID:@MKhyaku_chan )が真っ直ぐに「太宰治が好き」という話を書いていて、驚いた。太宰治と彼の書いた作品に対する感情が真っ直ぐであることに、驚いた。わたしは「太宰治に自分は“分かられて”いる」と思っているであろう読者層が苦手だった。またそのような気持ちを誘発する文章を書く太宰治にも、ジゴロ的体質を見出して、一方的にイライラしていた。故人とその作品への苛立ちって本当に一方的で面白いですね。だから水鏡ひゃくさんが太宰治へ向ける言葉が、変にひしゃげることもなく、ただただ真っ直ぐで、すごいことに感じられた。『女生徒』はまだ読み途中だが、今のところ『きりぎりす』がいちばん好きで、「おわかれ致します。」という書き出しはそれと知らずに知っていた。『きりぎりす』を書いた人間が『駈込み訴え』も書いているのは一貫性がある。因みに『祝福(未完)』に収録されている『オセロゲーム』は『駈込み訴え』の影響を多分に受けている。

話変える。ちょくちょくいろんなところで話題に触れているけど、最近はYouTube上にあるAlan Beckerチャンネルのアニメにハマっている。あまりにもわたしが観ているせいで、配偶者のスマホにもこのチャンネルに関する広告がバンバン出てるらしい。
Alan Becker
Business Inquiries:Alan.Becker@InTheBlackMedia.comMy name is Alan Becker! Maybe you saw my "Animator vs. Animation" when...
おたく語りしたすぎる! でも誰が興味あんねんと思って自分用に書いて保存するに留まっている。あとは配偶者に話してスッキリしている。
本当は「おれより言語化が上手い誰かによる、物語の構造に関する深い考察を読んで満足したい」のですが、おれより言語化が上手いやつがいない。全部失礼な欲望と全部失礼な言い方だ。

自分の、いや、何か一つの話題に限った話じゃないが、身の丈に合わない謙遜(或いは卑屈さ)と、身の丈に合わない自信(或いは傲慢さ)が同居して歪みが生じているの、いい加減どうにかしたい。傲慢になるなら傲慢になりきるべき。
結局、この歪みの原点は“お勉強”があった時代にはバカとして扱われて、“お勉強”を放棄した途端頭良い扱いになったことに対する不信だし、どちらかを、というか明らかに前者の記憶を癒やしたい、のですが。いや、別にバカ扱いされたことに怒ってるんじゃなくて、急に掌返しされたことを未だに根に持ってるんだよな。急に掌を返すなよ。舐めやがって。急に掌を返すような軸でおれを評価するな。
自分を転がして自分を傷つけた価値観に未だに囚われている。自ら傷つけられに行っている。こういうのって対処できる体調のときは対処できるけど、対処できない体調のときは本当に対処できませんよね。体調は目の前の課題に対処できるかできないかで二分されます。おわり。
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