20250106〜0111 自分の内側に広がる宇宙の声

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1/6 mon.
午後4時に目が覚める。1月に友達と会う予定だがよく考えたら平日なので配偶者に送ってもらうことができない。東京まで一人で出るの未だに怖いし人混みは嫌だ。別に関東に住んだからといって東京の土地勘が付く訳じゃない。引きこもりには尚更。

義実家から帰って寂しいのをラジオを点けることで誤魔化してる。ペルソナ5が面白すぎて没頭する。

am3:54。眠れなくて起きてる。一週間分の日記を見返す。そもそも日記を書く時間か取れなかった日が多かったので、粗い記録しか書かれていない。

義家族に手紙を書きたい、と思っているが、何を書きたいのかはまったく決まっていない。一週間の滞在のお礼とそれに関する何らか……を書きたいが、じゃあ、何を? と思ったところで止まる。何にせよ旅行の荷物も片付けていないし、マイナンバーカードの受け取りは一月中に終わらせたいし、やらなきゃいけないことが多すぎる。ペルソナ5は面白いし、逆転検事も買ったし、映像研の実写も観終わってない。ペルソナ5には明らかにシャア・アズナブルがモデルの悪役がいて、シャアってよく考えたら名前とキャラデザしか知らんな〜これを機に履修するのもアリだな〜とも思ってる。思ってるだけ。

2025年は働こうかな。いい加減。夜寝て朝起きる生活にしたいのに、眠れないので困ってる。何で不眠症なんだ。

1/7 tue.
18:33 今日は朝方7時に寝て12時過ぎに起きた。寝付けない。ずっとペルソナ5をやってる。ペルソナ5に、というか何らかのストーリーに没頭しているとき、物語がわたしを匿ってくれる友人であることを思い出す。

寒い。

1/8 wed.
14:01 起きた。布団に毛布を重ねたらぐっすり眠れた気がする。

ペルソナ5のギャルゲー要素、攻略を見ずに勘で答えてるが、体感そこそこ正答率が良い。ただ、全然好感度を上げたくないキャラクターがいて、そいつに関しては著しく正答率が低い。なぜなら好感度を上げたいと思ってないから……。

1:52 個人サイトの日記を更新してない。片付けしたり市役所に行ったり、やるべきことがあるが……。

1/9 thu.
苦しくて眠れず、おなかが空いてると勘違いして夜食を食べたら嘔吐した。こういうときいつもは腸に違和感があるが今回は胃に違和感があり、めずらしい。お薬飲めたねで胃薬を流し込む。気絶するように寝る。

嘔吐するとショックだ。大罪を犯した気になる。高校生の頃心臓疾患に関する手術で全身麻酔をして、起きがけベッドの上でそのまま吐いた。もしかしたら記憶がないだけで幼少期入院してた頃も吐いていたかもしれない。マジで覚えてないけど。失禁してた記憶はある。

午後3時頃に目が覚める。洗濯する予定だったけどやる気が起きない。一日やる気のなさに身を任せる。

ペルソナ5のギャルゲー要素で、担任の女性教師が学校に内緒で家事代行メイドのアルバイトをしていることを知り、以降自室に指名で呼び出せる要素があるが、精神的な疲弊がすごい。疲れる。

1:11 もうこんな時間だ。毎日が重苦しく、重苦しさに身を任せることしかできない。

干支バウム
龍と巳のご挨拶

1/10 fri.

1/11 sat.
10:41 起きた。

洗濯機を二回回して溜まっていた洗濯物をやっつける。一日中ペルソナ5をやる。レベル上げがしたいのに、ゲーム内時間で必ずレベル上げ用ダンジョンにアクセスできない期間があり、もどかしい。

──

3:27 一月になってから、焦っているのかもしれない。日記を読み返していて気付いた。日記に時間を書くことが増えているし。焦ってる。確かに、焦っている。漠然とした焦燥に毎日追い立てられていて、心穏やかな時間がない。一日の過ごし方が、焦燥に追い立てられるも何もできずにいる時間か、そんな時間を過ごすのが嫌で逃避しているか、しかない。もっと自分の内側に広がる宇宙の声に耳を澄ましたり、浸っていたりしたいよ。

「自分が書くことなんか誰も読んでいない」という前提がある。読む、というのは字面を目で追うだけでなく、心から耳を傾けるという意味で。その前提自体は一概に良いとも悪いとも言えない。捨鉢な前提だとも取れるし、その前提があるからこそ書けることもある。以前はもっと〈自分が書くことが誰にも読まれない状況〉が恐ろしかったが、じゃあその恐ろしさを無くすための尽力をしたいか?と考えると、無理、という結論で落ち着いている。

「自分が書くことなんか誰も読んでいない」という前提を、わたしは結局どうにもしてない。喩えるなら、大きめのコンクリートブロックが道端に置かれていて、それを通行人の誰も片付けない。そんな感じでわたしの心にその前提はある。どうにもできない。「誰も読んでいなかったとしても平気だ」と見栄を張ることもできないし、「読まれる」ことによってしばしば生じる嫌さにも対処できていない。「読まれる」ことによって(過去にも直面したような)嫌さが生じるくらいなら、いっそ誰にも読まれなくていい。しかし誰にも読まれないものを書いていることにも耐えられない。寂しい。だから直視を避けるような文章ばかり書いてる。早足で通り過ぎるような文章。逃げ腰の文章。

わたしがわたしの中にある宇宙に対峙しながら文章を書いたところで、必ずしもわたしの中にある宇宙が理解される訳じゃないし、そもそも「宇宙と対峙しながら文章を書くいとなみ」自体を理解されないこともある。
わたしの中にある宇宙に耳を傾け、そこに浸る時間は確かに豊かなものだが、それをしても皮膚の外にある問題は解決しないこともある。
だったら、宇宙に耳を傾ける時間なんかなくていいのでは? “非効率的”だ。“みんなきっとやってない”んだし。内面ばかり見つめて“現実的な問題”を解決しようとしない自分は“間抜け”に見えるだろう。

そういう疑いが、自分の中にずっとある。疑いを持ったままでいると、他人はズルをしているように見える。

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