1013 引越し荷物が全部新居に運ばれた。いちばん重い用事だったので終わると少しばかり心が軽い。県内での引越しだったこともあり運び出し→搬入完了まで午前中で終わって凄かった。午前中で三日分くらい疲れた。
新居のエレベーターの「今日のTIPS」によると今日は引越しの日らしい。偶然だ。
昨日「理解不能な他人が怖い」ということを書いたが、今日改めて考えると、他人と共に生きていくことは理解不能な他人への不安を飼い慣らしながら一緒にいるということなのかもしれない、と思った。不安がゼロになることはなく、むしろそうであるからこそ他者を尊重する手付きを軽んじてはいけないのかもしれない。
今日のよかったこと→晴れてたこと
今日の悪かったこと→急に暑いこと
旧居の掃除と退去の手続きがあるので旧居の近くのホテルに泊まる。新居への荷物搬入を終えたあととんぼ返りして、近場のホテルに荷物を預け、駅周辺でラーメンでも食べようと決める。
ラーメン屋一店舗目は激混みだったため別の店を探していると鰤のラーメン屋を見つける。立地も奥まってて「知る人ぞ知る」っぽい。ブリのラーメンってなんぞやと思っていたが、食べてみたらめちゃくちゃ美味かった。鰤出汁でスープを作っているらしく全体的に優しいお味で、疲れた肉体に染みる味だった。野菜が多めだったのもうれしい。鍋の締めっぽい。わたしが頼んだメニューには鶏肉のチャーシューが入っていたが、配偶者が頼んだラーメンには鰤チャーシュー(!)が入っていて凄かった。チャーシューは炭火焼の味がして脂がのって柔らかかった。麺は硬めで、見た目よりも詰まっていて量が多かった。油少なめのスープだったが結構塩っ辛く、油断して飲むと喉がヒリヒリした。あまりにも美味しい、というかそれ以上に身体が求めてる味だったので、(おれが鶴だったら、今夜この店に恩返しに行く)と思った。
旧居の掃除は思ったより早く終わった。明日以降のやることを確認しあい、ホテルに向かいチェックインする。一息吐いて個人サイトに日記を更新する。今週はできないかもと思っていたが、無事更新できてよかった。

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1014 ぷにる(CV:篠原侑)の『唱』、フツーに歌が上手いのをさておくぐらいに「ぷにるらしさ」が出ててめちゃいいね。曲のカッコよさとアンバランスなぷにるの発音の舌足らずな感じとか。
新居が広すぎる。広すぎて泊まりに来てるみたいな感覚だ。本当に今日からここに住むんですか?、と何度も確認したくなる。
旧居から荷物の運び出しが全部終わってがらんどうの旧居を改めて見たとき(狭っ)と思って、荷物が全部運び出されて狭さを実感するパターンあるんだと驚いたが、新居は荷物が全部運び入れられると余計に広さを感じた。こんなに段ボールジャングルで散らかってるのに広さを実感することあるんですか? あるらしいです。
新居整える作業大変すぎる。作業通話付き合ってくれる人いたらいいのに。
うすうす気付いていた、というか同じ話の繰り返しだし、気の所為なんかじゃないと自分に気付かせるために繰り返すが、本当にSNSにおける他人のpostが読めなくなってる。文章は長文であればあるほど良いと思ってる。好きな人の書く文章であれば尚更。そして好きな人の書く文章は全部読みたい。そういう姿勢でいたけど、もう、限界を感じる。求めている情報でなかったり、わたし個人に宛てられたものではない文章は目が滑る。読む気も起こらない。活字の塊として流される。
集中力が持続しなくなったからだろうか。鬱になると脳の働きが抑圧されるので、その後遺症? そもそも最初から自分の姿勢には無理があったのかもしれない。濁流のように活字が溢れていては。「文章が好き」と「書き手が好き」が自分の中で不健全に癒着しているのもよくないのかもしれない。
他人と剥離していく。(していくも何も最初から別人だろ、という話は後で。わたしの宇宙の中にある〈わたし〉と〈他人〉がさけるチーズのように分かたれていく、という感覚。)決して消えない不安と恐れを抱きながら。それらに見つめられながら。
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1015 昨夜の「SNSにおける他人の長文postが読めなくなってる」ことについて。ふつうに文章読む余裕が肉体的にも精神的にもないからだとおもう。あとSNSで〈情報を得る〉ことと〈文章を読む〉ことの違いとか。
段ボール開封作業をしている。新居、広すぎる。日の入りがめちゃ良くて一日中明るいのもうれしいし、寝室が和室になったのもうれしい。ベッドが苦手なので(ベッドで寝ると落下するかも、ということが怖くて深く眠ることができない。旧居で使ってたベッドは解体して捨てた)敷布団にしてからぐっすり眠れてる。他にもうれしいことはいっぱいある。新居が好きすぎるあまり掃除もはかどる。
コワ、と思う。明るくてうれしい方向を向けば向くほど背後に伸びる黒い影が濃くなる気がする。こんなに“いい家”に住んで、大丈夫なのか? ある日突然なにもかも失うんじゃないか? 今は某かの魔法がかかっているだけで、ある日突然魔法が解けてしまうんじゃないか? 突然失うことはなくても、“日常”として徐々に慣れていけば、明るい気持ちは擦り切れて忘れ去られてしまうのでは?
不安は、数年前住んでいた家賃3万5千円のワンルームのかたちをしている。生活保護を受給しながら住んでいた部屋だ。生活保護を受給しながら生きた経験はわたしの中にずっと残るんだろうなと思う。生活の中の惨めさや傷ついたことや苦しかったこと、生活保護を受給することが決まった瞬間の喪失感などの、ぜんぶ(生活保護を受給することが惨めだと言いたい訳ではない)。いつかまた背後から突き落とされるようにしてあの生活に戻るんじゃないかという考えを消し去ることはできない。
来年のNコン高校生の部の課題曲が野木亜紀子さんの作詞らしい。たいへん驚いた。高校生の部の課題曲は「文化人」と呼ばれるような人が作詞する傾向がある(と思ってる)ので野木亜紀子さんが選ばれたとしても全然不思議ではない。でもそういうクロスの仕方があるんだとショックを受けた。奇しくもそのニュースを知ったのが、偶然QuizKnockのWeb記事「歴代作詞者が豪華すぎ!名曲揃いの「Nコン」課題曲【今年は緑黄色社会】」を読んでNコンのことや合唱のことを思い出していたタイミングだったのもよかった。
(ちなみに上述の記事について。Nコン中学生の部の課題曲がJ-POPアーティストによって作られてるのって話題性のためでしかね〜〜と思ってるので据わりが悪かった。J-POPアーティストを使ってるのって「合唱部に入ったら【任意のJ-POPアーティスト】の曲歌えるよ!」と言って勧誘できるようにするためだとしか思えない。なぜなら課題曲って合唱の技術を審査するためにすべての参加校に同じ曲やらせてるのに、ポップスを合唱曲に編纂したやつって基本的に合唱向きでなく、合唱向きじゃない曲が課題曲になってる意味が分からない。合唱部がイベントでポップスやって観客湧かせるのはいいねぇと思うし、演奏する側もポップスは楽しいのですが。コンクール課題曲で? あとJ-POP歌いたいやつは軽音部行くだろ。閑話休題。)
眠くなってきた。もっと書きたいことあるのに文章が散らかる。もう寝る。
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1016 他人との関係や距離感について考えてることが多い。
やる気なさすぎて全然荷解きやってない。自分だけががんばってるかのような虚しさがある。寂しい。
やる気ナス🍆 今日は小学校の運動会っぽい音や、ピアノの練習のような音が聴こえてきた。
「いっつも誘う側で誘われたことなくて虚しいな」みたいなこと考えてるけど、多分誘われたことを覚えてないだけだし、誘われたときも大して嬉しがらなかっただけだな。



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1017 よく寝た。12時まで寝たの久し振りだ。
Twitter(X)ブロック機能改悪とのことで本当にどうしようかなと思ってる。Twitter(X)の機能が変わっていくことで居心地が悪くなる面もあるが、最近は自分のSNS運用や人付き合いの面で変えていかなきゃいけないところがあるんじゃないか、ということを考えている。こういうことを考えてるとき、すぐに自罰的な方向に結論を急ぐ癖があるので、そうではない、と意図的に方向修正をしている。
何から手をつければいいのか分からなくてぼんやりする。昨日は洗面所と風呂場の荷解きを主に片付けた。冷蔵庫の中身も少し整理した。
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1018 今日は市役所に転入手続きをしに行く。
昨日、ヤマシタトモコの『さんかく窓の外側は夜』が一日限定で全話無料だったので読んでいたが、読んでる途中で0時を越してしまい読みきれなかったので、Kindleで全巻ガッと買ってガッと読んで朝方4時に読了した。それまでKindleを利用してなかったのでKindleの使い方から分からない状態だったのに、我ながらスピード感のある行動力だ。
日記を書くときに思ったことや考えたことばかり記録していて、出来事や事実については全然書くことがないの、なんとなく恥ずかしい。でも思ったことや考えたことはわたしにとって大事なことだからね。
荷解き作業の進捗でも書くか。食器や調理器具はかなりサルベージした。ダンボールに入ってたり新聞紙に包まれていたものたちは使う前に一度洗いたい。洗うのは面倒。洗面所の棚の中も概ね整理した。扉に鏡がついた背の高い棚を使っているが、引越し業者から「耐震の突っ張り棒をした方がよい」と言われて、それもした。電気ケトルを買い換えた。昨日レンジラックとランドリーラックが届いたので配偶者が組み立てて、新しく買ったオーブンを置いた。
あとは押入れや衣類を整理できたら片付きそう。緊急性は高くないけど欲しい家具も買えたらいいな。
市役所に行くバスに乗ったらお祭りが近いようで街のあちこちが浮足立っていて楽しい雰囲気に満ちていた。
(am.2:46)寝る。
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1019 昨日市役所での転入手続きを終えた。なんか住民票とマイナンバーカードの住所変更の手続きしてたらマイナンバーカードを更新しなきゃいけなくなって(そういえば前の市役所で言われたけど忘れてた)マイナンバーカード発行の手続きの書類やら証明写真撮影やらをさせられた。証明写真って何であんなブサイクに撮れるんやろな。
身体障害者手帳、精神障害者手帳、自立支援証明書、重度心身障害者手当受給者証を持ってるので、それらの住所変更の手続きもしていく。こういうものを持っていれば持っているだけ住所やら名前やらを書かされるシステムはマジでカスだと思う。(もう終わりかな)と思ったら追加で三枚の書類に署名しなくちゃならなくなったときは流石にブチギレそうだった。
障害者“様”は福祉手当で楽して生活できていいですねとか言ってるカス差別者は市役所で旧住所新住所名前銀行口座等々を七回書類に書く作業をやってから言え。
生活保護受給の手続きをしたときもそうだったけど、市役所での手続きが〈手書き〉〈紙の書類〉から一向にアップデートする気配がないのが意味分からない。マイナ保険証でこの辺の手続きが一括で済むようになるなら話は別だが今のところそうはなってない。マジで何? 福祉を受けたいぐらい困窮してる奴が紙の書類持って市役所の階段を往復することに何の意味が? 賽の河原の石積みってこと? 意味が分かりません。この話やめます。

今日は配偶者が家にいたので荷解き作業がかなり進んで助かった。緊急性はないけどあったら嬉しい家具をいつ買うか迷ってる。というか、迷うだけの体力も今は足りない。ちゃんと休む日が欲しい。
これを見て実践した。気持ち的にはかなりラクになった。これをやると「喋ることなんか何もないかも」とも思えてきて、同時に「喋ることが何もなくなる」のが怖い。依存しすぎなんだろうな。相談できる人がいたらいいのに。
上記のことについてあれこれ考えて、Blueskyにある自分の10ヶ月前とかのpostを掘り返したら過去の自分が愛おしく、そして現在の自分が忘れていたこととか書いてあった。前に「生活保護を受給していた頃の惨めさ」の話を書いたけど、生活保護を受給していた頃の生活のこと、忘れたくない。
筋トレして健康的に身体を虐めるか、美術館に行くかしたい。